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告白 感傷 感謝 出発

今でも覚えている。
中学1年10月の出来事。
これが私の人生を変える大きな出来事の始まりだった。
当時中学生だった私は何も知らなくて、かなり経ってから当時の話を聞かされた。
聞かされた話は下記の内容だった。

膝が痛くなり近所の病院へ通っていたが半年経っても消えるどころかひどくなるばかり。
半年で10kg体重が減った娘。
さすがに両親は不安になり大きな病院で検査してもらうった。
診断は…「骨肉種、余命半年」
すぐに東大へ行くように言われた。
東大病院の診察も同様。
ただし「切断すれば余命半年は延びる」
両親は即断しすぐに入院。
人生最初の手術室は、右足切断のために入った。

今でも忘れない。
ふさふさだった父親の髪が一晩で全白髪になってしまったこと。
両親は娘の余命を悲しんだだけでなく、もっと早く病院へ連れて行かなかった自分たちを責めたのだ。

東大病院で出会った医師は今でも私の恩人だと思っている。
切断のために入った手術室の中で、更に検査を行ってくれた。
骨肉種(悪性)の可能性・・・97%
良性の可能性・・・3%
出会った医師はわずか3%に賭けてくれた。
そして病理の再検査をし、結果良性との診断が。
切断がなくなった。

そして新たな手術。
腫瘍で痛んだ関節全切除。
なくなった関節部分には、骨盤とふくらはぎの腓骨で新しい関節を形成した。
その新しい関節が今まで私を支えてくれた。
ありがとう。

その新しい関節に寿命が訪れた。
ついにお別れをしなければいけない時がきた。
23日、さよならをする。

この関節には、私の両親の深い愛情と苦労が沁みこんでいる。
両親はマイホームのために蓄えた貯金を使い果たした。
わが子の余命を宣告され苦悩した。
週末ごと上京し肉体を酷使し続けた。
3%に賭けてくれた医師には言葉にならないほど感謝し、
成長していく娘に愛情を注ぎ続けてくれた。

自分が親となり、改めて両親の心情を見つめた時悲しみと感謝で胸がいっぱいになる。
なかなか手術に踏み切れなかった娘に「弱虫」と天国で嘆いていたかも。
さよならが近付いてきて少し感傷的になっている自分がいる。

今回手術をしてくれる医師に「取り除いたらかけらでいいから欲しい」とお願いしてみた。
私がこの世にさようならをするまで、私の体の中からでても見守って欲しくなった。
私のお守りにしたくなったから。
叶うかどうか?
骨は焼くから置いておけるらしい。
そのままだと、骨の中の成分、カルシウムとか色々が腐り異臭を放つようになるという。
「ホルマリンに漬ければ大丈夫かな? 考えてみましょう。」
これ以上はお願いできないので、手術後手渡されるか不明。
もし手元にきたら大切に大切に残りの人生も一緒にすごしていきたいと心から思う。
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